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「卑弥呼の宮殿」邪馬台国論争が再燃

畿内か、九州か-

宮殿を思わせる建物群跡が見つかった奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡

「卑弥呼の宮殿の手がかりが見えてきた」「邪馬台国には、まだ遠い」。邪馬台国論争に再び火がついた。

 卑弥呼が中国・魏に使者を送ったのは239年。

今回見つかった建物群跡は、まさにこの時期にあたる。

纒向遺跡が邪馬台国の中心とみる石野博信・兵庫県立考古博物館長は「方位を合わせた構造は、中国の宮殿と共通している。

卑弥呼は、魏の使者を迎えるにあたって外交交渉上、国の威容を整えようとしたのかもしれない」と推測する。

 辰巳和弘・同志社大教授(古代学)も「魏志倭人伝は『卑弥呼は鬼道(きどう、呪術)につかえ、よく衆を惑わす』と記す。まさに女王が祭祀(さいし)や政治を行った場所の一部だろう」。

 今回の発掘現場を昭和53年に調査した寺沢薫・奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長は、西側に張り出した柵(さく)と、方位を合わせた建物群の計画性に注目し、「儀式を行う特別な建物だったことは間違いない。中心施設はさらに東に埋まっているのだろう」と今後の調査に期待をよせた。

 勢いづく畿内説に対し、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は慎重な姿勢を崩さない。

「数棟の建物跡と柵が見つかっただけで、邪馬台国を議論するのは時期尚早。全体構造が明らかになっていない段階では、九州と比較もできない」と指摘し、魏志倭人伝の記述や発掘成果をもとに「邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)などを有力候補とした北部九州であることは動かない」と話した。


この様な遺跡が見つかると、まずは卑弥呼と結び合わせようとする傾向は可笑しな事である。

卑弥呼の時代には、邪馬台国しかなかったのだろうか。

日本の各地方にも、邪馬台国規模の国は存在したはずなのだ。

邪馬台国の場所の確定は、早急に決める事ではない。

古代のロマンを、じっくりと味わおうではないか。

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コメント

わたし、福岡県ですが県内にも邪馬台国の比定地はうじゃうじゃ(^_^;)
町おこしの道具です。
わたしは邪馬台国は残念ながら大和にあったと思っています。
あれだけの大国を収容する遺跡は九州にはありません。
邪馬台国→大和、名前からして単純なように思います。

いにしえのロマンです。

吉野ヶ里は、かなり大きな遺跡の様ですね。

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